昨日、社員のS君に待望の第2子が誕生しました。
朝、子供が生まれました!っていう電話での報告があり、
よかったね、おめでとう!
で、どっち?
また、女の子です!
彼のところは、二人目の女の子なのですが、まず、無事に生まれたことが何よりです。
オイラは、何かこういうことをすぐに、神の啓示みたいに思っちゃうところがあり、
今回の赤ちゃん誕生は、オイラの血縁でもないんだが、
自分の廻りで起きたことを、神の啓示なんだ。
って関連づけて、考える癖があるのです。
自己中心主義っていうんでしょうか、
自分勝手というんでしょうか、
例えば、人が死んでも、
あっ、これは、なにを表しているんだ?と考えちゃうんです。
先日も実は、お葬式に行ってきたんですが、
そういうときでも、これは、なにを啓示しているんだろう?って考えるんです。
それも、全部自分の都合のいいほうに、考えちゃうんです。
お葬式は、別れですね。
その別れという事象そのものにスポットを当てて、別れは、別れだから、何かを流してくれるんだ。って考えるんです。
葬式すらも自分の都合のいいことにとらえる。って問題かもしれません。
でも、人は皆生まれ、そして死んでいく。
これは、自然現象だし、だれも避けて通れないことです。
当然、悲しみ、つらさはあるでしょう。
それは、オイラだってそうですが、
その次に考えることが、そういう、神の啓示的な発想なのです。
そういえば、すべての出来事は、出会いと別に分けられるかもしれませんね。
お客様との出会いもそうだし、別れもある。
この場合の別れは、こちらが望んだことは少なく、お客様のほうから、もっといいところがある。と別れていくのが多いでしょう。
社員さんもそうだろうし、業者さんも、職人さんも、みんなそうです。
家族もそう、人間だけではなく、すべてのことが出会いと別れです。
その繰り返し。
考えてみれば、そうりゃそうですね。人はいつかは死ぬわけだから。
その出会いや別れを、そんな風に自分の何かを暗示させる事象と捉えることは、たぶん、オイラの変な癖なんだけども、すごく、処世術として面白いと感じています。
S君の昨日、生まれたお嬢さんは、なんの啓示にしようか。
それは、いいことに決まっているんだが、何か新しい誕生への暗示に思えてきます。
なんだか、嬉しいことが少しでもあると、明るくなります。
あ、名前聞くの忘れてた
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