自分自身のことは解らないのに、他人のことはよくわかる。
昨日、迷い人が訪ねてきた。
道に迷っている時はやさしく話を聞いてやる。という方法もある。
もうひとつ、迷っているんだから、方向をしっかりと示してあげる。ということもある。
ある程度、これだ!くらいのことのほうがいい。
人によって様々だが、そのくらい言わないと解らない人なので、偉そうに、ズケズケと宣ってしまった・・・
しかし、どのくらい取り入れてくれるかどうか・・・後はその人次第。
しかし、話を聞いていて、本当に難しい時代になったと実感する。
無策、無能は通じない時代である。
無策が通じないのは世の常だが、無能は致命的なのである。
無能とは、頭の良し悪しではない。
初めから頭のいい人間なんて、そうそういない。
ない頭でも考えて、行動することである。
考えるところまでは、だれでもする。
考えたことを行動に移すことが肝要だ。
先ず、一歩と考えて、ことを準備すると、その一歩が出ない。
一歩目の準備は、けっこう大変である。
あれとこれとそれと・・・歩み出す前に考えてしまって、足が出ないのである・・・・
拙は考えずに先ず、半歩、いや、ほんのちょっとでも足を出す。
一歩を考えてから出そうとすると絶対に動き出せない。
お調子者である。そそっかしいのである。
だから、長続きしないことが山ほどある。
100のうち成功するのが、一つあれば上等と思っているふしがある・・・
三日坊主と開き直っているし、周りからもそう思われている。
昨日の迷い人は、拙以上のそそっかしさを持っている。
他人のふり見て、我がふり直せ・・・恥ずかしくなった・・・
他人のことはよくわかるものである。
カウンセリングのまねごとみたいなことをして、自分の言葉に気づかされたが、
出来ることってそんなに多くないのである。
自分の持っていることしか、人には届かない。
借りものは、人の心に響かない。
持っているもののなかで、得意なことをアウトプットする。
これが一番のような気がして、しょうがない・・・
持っているものの精度を上げるために、勉強する。研鑽する。
それしか、生きる道はない・・・
世の為、人の為・・・昔の人は真髄を語ったのだ。
それが、自分の為。
売って善し、買って善し、世間善し。
近江商人、さすがだな~
コメント