日本人的なぬるま湯発想である。
何にしても、争いごとなしにするのがいい事だ・・・とか、
周りからどう見られるか・・・とか、
恥ずかしい・・・とか、
良心・・・とか、
常識・・・とか、
そういった感覚は日本人の特性である。
世界はそうではない。
言ったもん勝ちである。
主張したもん勝ちである。
ダダのごね勝ちである。
無理矢理でもなんでも関係ない。
官民一体となっての感があるが、情報の操作なしに民が勝手に行動は出来ない。
これは歴史が語る真実だ。
日本もかつては、大本営発表があった。
今も北朝鮮では、情報の操作があるのは当たり前だ。
でなければ、とんでもない民衆の騒ぎになる。
中国もそうだろう。
行政が主張することを、声高だかに声明として発表すれば、民衆はそれに呼応して騒ぎだす。
そんな光景がテレビに映っている。
それがまた、世論として煽ることになる。
これが行き過ぎるとまた、当局の規制が出るはず。
一党独裁とはいい事もあるが、現代のグローバルスタンダードに侵された考えからすると、違和感がある。
この違和感は不快感であるが、真の国のあり方を問うべく問題意識が問われているような気がする。
国民の大人性というか、成熟性が問われているような気がする。
黙って見過ごすことが、大人ではない。
乗じて騒ぎだすことなんて、とんだ勘違いである。
腹にぐっと力を込めて、静かに行動する。
信念を確認しあうことが大切である。
ここが、日本の株を上げるチャンスかもしれない。
日本のトップ方に、くれぐれも軽はずみな行動はしないように願う。
ここで行動を間違えば、とんでもないことになる。
危機感を持っているトップが何人いるか・・・ここが問題かもしれない。
テレビに出ているコメンテーターは一応に、問題意識が低い。
どこのコメントを聞いても意識が低い。
もしかしたら、意識して問題視していないのかもしれない・・といううがった考えもあるが・・・
そうではないだろう。この問題意識の低さが、今の日本の実力かもしれない。
まだまだ、独立国として、世界の一流国として、大人の国として遠いのかもしれない。
中国はしたたかである。
中国だけではない。アメリカもそうである。
世界の国という国は、みなそうである。
だが、今の中国のやり方は時流には合っていないだけである。
ヨーロッパが500年前にやってきたことはこの比ではない。
アメリカが150年前からやっていることはこの比ではない。
それをこの時代にもう一度やろうとしている中国。
隣国にそんな考えの国があることをしっかりと認識しないといけない。ただそれだけである。
じゃ、日本はどうだったの?
日本のそれは列強国のそれとは違う。全然違う。
ハッキリ言えないところに、歴史の正しい認識から逃げて、経済に走った責任がある。
これについてはまたの機会にでも書こう。
中国人船長は日本の法律問題である。
くれぐれも内政干渉を許しちゃいけない。
テレビのコメンテーターが政治的解決なんてことを言い出した。
くれぐれも大人の、しっかりした対応をしてもらいたいと願うばかりである。
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