震災前、震災後とい表現が正しいのかどうかはよくわからないが、人々の思考が変わってきている感じがする。
そう、まだ感じなのだが、確信めいたものを感じる。
こういうことには変に敏感だという自負がある。
これも自負だから、当てにならないのかもしれない。
しかし、確実に変わってきている。
どういうこと?・・・
そう、どういう風にかわってるんだろうか・・・
価値観が明確にあぶりだされてきている。
一つには、充分な価値があるかどうか、品定めであるが、これはいの一番で当たり前として、そうじゃなきゃまず土俵にも乗らない。
二つ目は、自分自身の明確な価値基準を持ち始めている。えっ、もってなかったの今までは?
そう、持ってなかったのである。だから、お店なり、業者なりの広告や専門家っぽい人のそれっぽい理屈に惑わされることがあった。
もちろん、そういう傾向は確かにあるが、それでもなぜそれを選ぶのか、という判断基準が明確に自分自身のなかに生まれているのが以前との違いである。
この基準が、震災後、当たり前のことが当たり前であることの重要感、幸せ感を実感したところから生まれたと考える次第。
石原都知事が、天罰と言ってマスコミから叩かれたが、あれは被災者に対しての言葉ではないことくらいわかっているはずである。
それを何でも叩けばいいということで、マスコミは自分の力を誇示しているかのような、あれはいやな感じだった。
あれが、マスコミファシズム・・・という言葉があるかどうか、今作った言葉ということで・・・話が脱線した・・・
今の日本に下されたことが必然ならば、あれから変わってきていると思う。
それでも昔から正しいことは、世に受け入れられて続いてきた。
正しいことは続かない、という人がいたら、それは正しいようなことだったのだ。
ようなことと、正しいこととは明確に違う・・・はずである。
正しいことは昔からちゃんと続いている。
あれ以来、だんだんとあぶりだされるようになってきたのかもしれない。
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