自分の触れられたくないところに触れられると、人は怒りを憶える。
ここに自分の限界があるとは気づかずに・・・
自分の殻に閉じこもっていることのほうが気分は楽である。
限界を超えようとするとき、非常な精神の震えが来る。これに大体の人は怯え慄き、抵抗しようとする。
そのときである。ああ、これかと。。。ここが精神の限界かと。
これを超えるともう一つ別世界が見えるぞと。こう考えよう。
自分の殻を破って一歩、歩き出そう。
常に前へ歩かなければ、人は生きていけない。
寿命とはそういうものである。
前へ、前へと、ほんの少しでもいい、前向き、あっちのほう、なんでもいい。
一歩も踏み出してなくてもいい。方向だけでいい。
体重が多少かかっているだけでいい。
あっちである。そう、その方向だ。
それだけで長生きできる。
生きていて良いよと言われるのだ。
誰に・・・
誰かに・・・
その心根とでも言うものを忘れたときに、人は死に向かって進むことになる。
これだけは本当のことだ。
ここではお茶らけたことを言ってきたが、これだけは真実である。
真剣に聞いてほしい。
人は進化をやめる方向に向かったときに抹殺される。
いや、人だけではない。すべての生あるものが、進化の方向に進まないとき、消されるのだ。
強いものが生き残ったのではない。頭の良いものが生き残ったのでもない。
進化したものだけが生き残ったのだ。
進化とは、あっちの方向に行こうとする意思である。
あっちとは、どっちだ・・・
そんなのは簡単なことだ。その方向を見つけることなんて・・・
壁を越す方向である。
自分にとって負荷のかかる方向のことである。
そこから逃げた回数がそのまま、寿命が縮まる時を刻む。
その方向は実は、楽しいことばかりが待っている。
波を乗り越える楽しさ、心地よさが解ると、これまた楽しくなる。
楽しいことの連続である。
寿命あるものいつかは、尽きる。
尽きる時は誰でも解るのだ。
そのほんの少し前だが、振り返ってみると最高の人生と感じるだろう。
この瞬間が一番幸せを感じるのかもしれない。
我慢に我慢を重ねたサウナのあとの、一杯のビール・・・これが最高のように・・・チャンチャン、ちょっと違うか^^
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