小林何某氏というマンガ家の使う言葉らしい。
筆者の年代はもう知らない。
永井豪、本宮ひろ志くらいまでである。
マンガということば自体、死語であろう。アニメというらしい・・・
大分最近になって、ゴーマニズムなる”マンガ”を読んだ。
マンガというより、思想的な読み物という感じである。
若い人への影響は大なのであろう。
学校での歴史のタブーに触れている。
何某氏では失礼なので、少し調べてみた。小林よしのり氏である。
三作品ほど読んだことがある。
へぇ~と思うほど、よく調べているし、参考になる。
確かに戦後の歴史教育には、偏った面がある。
歴史なんてものは初めから偏ったものであろうから、言い方としておかしいかもしれない。
筆者の持論であるが、日本史の授業は、縄文、弥生時代から始まって、明治維新、日清日ロ戦争まである。
先の大戦が最後のほうになり、その辺りも教科書に載っているが、中学3年の受験時期になり、さら~と片づけられてしまう。
こんな感じであろう。これが、戦後の日本史教育である。
ゴーマニズムも確かに偏っているが、それでも、タブーに触れているところが面白い。
天皇のことや、歴史の裏側が語られている。
これが、一マンガ家の作品で語られるようでは、日本国民として、自国の教育としていかがなものかと思うのは、何も小林よしのり氏だけのはなしではないであろう。
筆者はというと、こんな話になると右寄りと言われる。
自分ではそうでもないと思っている。普通に自国を愛する普通の感情の一国民と思っている。
日本人が世界で活躍すると素直にうれしいし、素晴らしい民族だという評価があるとこれもまた、うれしい。
なんだか親戚が誉められているような感じである。
自分の根っこが認められている。そんな感じにもなる。
渡部昇一氏が、ことさらに、日本人の自虐史観なることを述べている。
それも確かにそんな感じだが、ある意味それは世界のいわゆるグローバルスタンダード的な言葉の使い方からみると自虐史観になるが、日本人の日本人的な心情の表現に過ぎず、それが、世界では通用しないのかもしれない。
確かに、外交交渉には弱い。
でも、なんで明治時期では、けっこう強気というより、うまくこなせていたんだろう???という疑問も出てくる。
それが、行き過ぎたのが昭和期だったともいえるから、本来、外交交渉には不向きな国民性かもしれない・・・
考えたらそりゃそうか、廻りが海に囲まれている。これは、外国交渉とは無縁の歴史であるから、無理もない。
だったら、解かってもらうべく、努力も必要。
自分はこういう考えだよ。ってもっともっと言えばいいのに・・・
でも、それが出来たら、外交がうまいということになるから・・・世話ないか・・・
同じことが自分の中にも感じる。
大体、日本人はすべからく廻りの人とうまく付き合えない民族性を持っているのか・・・
けっこうこれが、内気で、それでいて、ゴーマニズムなのかもしれない。
我慢して廻りと合わせる。それが我慢できなくなって、いつか爆発する。
この抑圧が大きい程考えられないような事件が起きる。
やはり教育の原点は、正しい歴史観にあるのか・・・
正しい歴史なんてない・・・あるのは、事実のみか・・・
どうやって、それを伝えるか・・・公開するか・・・取り組むか・・・
この議論は教育の原点である。タブーにせず、取り組んでもらいたいことの一つである。
最近、教育勅語を読む機会を得た。
なかなかどうして、素晴らしい文章である。
戦後しばらくしてから生まれた、いわゆる戦争を知らない子供世代の筆者にとっては、どこに軍国主義の片棒を担いだ内容があるのかわからなかった。
井上毀が起草したと言われる教育勅語。
そのいきさつもかいつまんで説明されている文章であったが、こういうことがもっと知られてほしいと思う。
そういえば、この教育勅語を暗唱している幼稚園があると聞いた。
卒園式で子供たちが号泣していたという・・・
こういうことを聞くと70代の諸貴兄姉氏は、いやなあの感情、体験が思い出されるのではないだろうか・・・
筆者の母もそうであろう・・・しかし、もう日本が積極的に戦争を仕掛けることなんて現実にあるだろうか。
国を守る。これは、やはり大切な感情の一つなような気がする・・・
やはり、右寄りと言われてもしかたないか・・・
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