何でも相性ってやつがある。
パソコンの不具合を「相性が悪い」の一言で片づけた乱暴な時代もあったが、
説明がつかないことを相性で片づける癖が人間にはある。
相性とはそういうものだろう。説明がつかないから、理屈ではなく、性格の不一致だったり、性分の違いだったりする。
そこが合うか合わないか、これってけっこう人間の付き合いの中では重要な部分である。
お客様とのお付き合いもそうだろう。
当然人間同士だから・・・
相性のいいお客様のお仕事は、こんないい気分はない。
何をやってもうまくいくし、何にもましてものすごく感謝される。
この感謝されるというのが、仕事冥利というものだ。長くやっているのもこれに尽きると言ってもいい。
これが相性が悪いといくらうまくやろうとしても、うまくいかないから、気持ちも伝わらない。
仕事だから、悪くやろうなんて当然思ってもいない。ところが、やること成すこと全て逆目に出てしまう。
これも又、長年やってきて解かっていることではある。
だから、相性が悪いなと思ったら、請けないことが一番である。
これはお互いの為である。
ところが、これが相性の悪さというやつは、けっこう引き寄せられるものである。
自分の弱点を突かれるような感覚を感じるので、何くそという気持ちで引き寄せられるのである。
そんな時こそ危険信号である。相性が悪いと感じたらやめるのが一番。
相性が悪いからと言って断る、なんてのは仕事の判断としていかがなものか・・・
諸貴兄姉氏は、そうお思いになるだろう。
ところがこれが一番良い方法なのである。
お互いの為に、悪いストレスが貯まるのを避ける。
毒も薬、ということもあるから、抵抗力のある若いうちは、大いにけっこう。
経験という大切なものが手に入るから。
筆者の拙い経験から言わせてもらえれば、相性は最上級の判断材料にすべし。
これが、目先の利益や売上に目がくらむと絶対によくない。
まして、使命感が出てくると、これはもう、はまってしまう。
使命感と相性の悪さを勝手に言わせてもらえば、情けになる。
ものすごい上から目線に感じるかもしれないが、使命感とは自分でなければならない感とまちがって 判断することがある。
相性の悪さを感じつつ、間違った使命感を持つことは、お情けとなる。
取引商談はヒフティヒフティ5対5が基本だから、お情けは良くないのである。
使命感は、お情けではない。
相手のこうなってほしいということを具現化することが使命感である。
自分じゃなければならない理由はない。
誰だっていい。相手の理想郷を具現化するのは誰でもいいのだ。
客観的に見て自分でなければならないということが最終的に判断できるかどうか・・・
これが専門家としての持っているものが問われることになる。自分が自分に問うのである。
だから、常に勉強する必要性がここにある。研鑽を積むということだ。
それでも、やはり相性には勝てない。
使命感と相性、これがうまく合致すれば、もう敵無しである。こんな強いことはない。
相性は悪くなければ良しであって、ものすごく合う必要はないと思う。
だから、悪いと感じることってそんなにはない。しかし、確実に存在する。
数千人に一人くらいの確率ではないかと思う。
前世にも相性の悪さがあったのかもしれない。
理屈ではない。理性でコントロールできるものでもない。
だから、相性なのだろう。
なるべく相性の合わない人とは避けて通るべきだが、それでも当たってしまった時は、さらっと素早く通り過ぎよう。
しかしこれがまた、なくてもいいようなことがおきて、簡単にはいかないのだ。
とにかく、相性ってやつをなめてかかるととんでもないことになるから注意しよう・・・
しかし、これも天の啓示とも思える。
真正面から乗り越える。とこれはまた一段と成長する。
経験しなければいけない事をさせてもらっているのだ。
自分の足りない事を教えてもらっている。そう捉えるとどうか・・・
そうか、それを相性で片づけてはいけないということでもあるのか・・・・
いつまでたっても、どこまでいっても傲慢なのかもしれない・・・
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