だいぶ精神世界的話が続いたので飽きた。
このブログの読者から、大分参っていると思われたのか、
頑張ってください。と励まされた。
有り難い。うれしい限りであるが、そんなに参っているわけではない。
じゃ、ついに本当に変になっちゃった。
そうかもしれない。どうぞどうぞ・・・ダチョウ倶楽部じゃない・・・
こんな経営者もいない・・・
だって、やりたい放題だ・・・
面白いことしかやらない。
興味が持てないものしかやらない。
今までの仕事の概念は、辛くても、苦しくても頑張って乗り越えていく。
女房子供を食べさせる為に、歯を食いしばって、でも、そんなことは微塵も感じさせないで一所懸命働く。
それこそ日本の父の姿・・・
凄いし素晴らしい、涙が出てくる。尊敬である。
そして、抱きしめてやりたい。ありがとう、感謝します。
これが日本の正しい父の姿だ。本来。
ついでと言っちゃなんだが、正しい母の姿は・・・
お父さんを大切にする。何より、子供の前ではお父さんこそ尊敬する人物だとたてる。
これが、心底そう思っていて行動、言動に出ると、正しい日本の母である。
でも、多少嘘でもいい、子供の前ではお父さんをたてることがものすごく大事だ。
なぜか?どういう訳だか、子供は父と母のこういう関係に触れていることが一番安心する。
正しく働く父、それを支えて尊敬する母・・・どういう訳か、これを見ていると子供は精神が安定する。
この安心こそ精神衛生上非常に大切なのだ。
精神が安定すると、何より脳が発達する。
悪く育ちようがない。
天才は、子供時期に家族愛、特に母愛に満ちていると生まれるようだ。
秀才にもなるが、秀才はこの家族愛がゆがんだ形からも出てくる。
どちらにせよ、子供を考える時、安定した正しい精神状態が夫婦にあるかどうかがカギである。
既に片親の場合は、一人にその役割が掛かってくるが、もう一人どうしても登場人物が欲しい。
おばあちゃんでもおじいさんでもいい。
近所のおばさんかもしれない。
あるいはお兄ちゃん、弟、妹かもしれない。
何も人間的に全てを解かっている年上の人でなくともいい。
弟、妹がその役割りを見事にはたしている場合もある。
この弟、妹の為に頑張らなくてはならないと思う、その精神こそ大切だ。
その場合は、片親の子供にかける思いが、人生の100%で無ければならない。
最近の親は、子供のことが100%ではない。
自分も人生を楽しまなきゃ・・・と思ってしまう。
なんで、いつも子供の世話ばかりしなきゃいけないの・・・とこうなる。
たまには、自分にご褒美とばかりに、子供を忘れて、呆ける。
自分にご褒美が悪い訳じゃない。
しょっちゅうだと、子供は見抜いてしまう。
子供に限らず、自分のことを注目してくれていると、解かるものである。
そこを敏感過ぎるくらいに表現するのが子供である。
子は親の心を実演する名優である。とはよく言ったものである。
振り返って自分を鑑みる。
自分のいやなところ、悪いところが似るとは、これまたよく言ったものだ。
だれが悪い訳じゃない。誰のせいでもない。
改めることが、もし、あるのであれば、それは誰が出来るか・・・
他人の指摘ばかりじゃ何も変わらない。
素直に聞いてくれる人ばかりだといいが、それでも指摘ばかりしている人の言うことって、素直に聞けるだろうか・・・
背中を見て、人は感じいるものであろう。
背中を見せるとは、自らが自らに課すことである。
指摘ではなく指導する立場はある。
指摘と指導ではうんと違う。
指導とは、正しい方向に導くことである。
これは通じる。心に届く。
指摘は指すだけ、これでは届かない。
指導できる人間になるにはそれは相当な修行がいる。
修行の中に、自己を省みる時間が必要だ。
そして、自らが変革する。
そう、変えることが出来るのは、自分だけ・・・
他人を変えることは出来ない。
ましてや、指摘しただけで変えようなんて、出来っこない。
筆者はそれを今までしてきた。
これは大変な間違いである。
自らが変わることしか出来ない・・と肝に銘じる。
自らは何で出来ているか・・・・・
潜在意識である。
これが全て支配している。
またこの話か・・・
結局、この話に戻ってきた・・・
そう、この話が最近のトピックである。
潜チャンに働けとばかりに、魔法の言葉を唱えている。
ブツブツ言っているが、いよいよホントにおかしくなった・・・と思わないでいただきたい。
しばらくは、潜チャンを浄化する作業が必要なのだから・・・・チャンチャン
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