変えられるのは、自分の内面だけである。
他人の内面は変えられない。
他人の気持ちを変えようとすることは、操作しようとすることである。
他人の気持ちをコントロールなんてできっこない。
出来るのは自分の気持ちだけである。
ところがこの自分の気持ちでさえ、コントロールすることが難しい。
真面目であれば真面目であるほど、苦手な部分に意識が集中する。
なんて自分は出来ないのだろう・・・
ようし、それを克服してやろう・・・
そして挫折すると、なんて出来ないのだろう・・・となる。
でも、挫けず、また、弱点ばかりを直そうとする。
真面目人間は指摘されると、いや、自分自身からの指摘でも、それに応えようとする。
そうするとそのことに意識が向けられる。
良い点は良い点だから、それでいい・・・と、あまり意識がいかない。
本当は、良い点をもっと味あえばいいのに・・・
良い点や、気分のいいこと、感情がウキウキ、ワクワクすることに意識を集中する。
実はそのことが、ものすごく大事だということに気付いた。
マザーテレサは、反戦集会にはいかないが、平和集会には参加すると言った。
どちらも同じようなことである。
でも、完全に違う。
悪いことに反対しても、そのことに意識がいくと、そのことが引き寄せられるのだ。
反戦よりも平和を引き寄せたい。
善し悪しは、宇宙は判断できない。
意識のみ判断できる。
判断材料は、気分がよくなることである。
気分の良いことに意識を集中しよう。
ザ・シークレットに出会った。
偶然はない。必然である。
まだまだ、魔法のランプの使い手としては未熟者だが、必ず、使えるようになる。
本当かどうか試してみよう。
疑っているのではない。もうすでに信じている。疑いようがない。
これだ!やっと発見した。見つけた。
怖いような気もするが、試してみたい。
成功体験を他人にも薦めたい。
そう言えば、思い当たることが過去にもある。
思えばそうなるのだ。
信じればそうなるのだ。
おかしくなった訳じゃないが、そう思われても仕方ない・・・
実験結果をご報告できるのを楽しみにしていただこう。
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