戦後はもう終わった・・・と言われて久しい。
戦後などという言葉も知らない若者たち・・・
戦争したの?どこと?・・・
これでいいのだろうか・・・
たった65年前の話である。
昨日、何気なく見ていたテレビ、徹子の部屋だった、裏千家の前家元 千 玄室が出ていた。
その経歴が特攻隊にいらっしゃったそうな、俳優の西村 晃もいわゆる同期の桜だそうな。
その特攻隊の話を聞いていて、思わず涙が出た。
そういえば、数年前に鹿児島の知覧を訪ねたことがあった。
そう、特攻隊の基地である。いろんな施設を見て・・・
特に遺書、そして、銅像があった。今にも飛び立つ特攻兵の雄姿・・その向こう側に母の姿の銅像を見た時、号泣した。
あれ以来、英霊の話は心を打つ。
そして、NHKの大河ドラマじゃないが、明治になろうとする時に黙ってられず動いた人たち・・・
命を掛けて日本を思った人たちが、現実にたくさんいたのだ。
身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
吉田松陰の辞世の句であるが、これほどまでに居ても立ってもいられぬ思いがあの明治維新を駆け抜け、達成したのだろう。
それと同時に松陰は、こんな句も残している。
親思ふこころに勝る親心 けふの音づれ何ときくらむ
これは、処刑が決まる前に一時、家に戻された時、背中を流してもらった母の心を改めて思い知り、詠んだ句と言われている。
処刑が決まって、親はなんと思うだろう・・・
特攻隊として亡くなった人たちは皆若者である。
千 玄室曰く、皆、お母さ~んと叫んだそうな・・・千のたてたお茶を飲んで旅立っていったという。
おそらく、皆お母さんと叫んで、死んでいったのだという・・・
戦後50年の時、沖縄での慰霊祭に、ご遺族の方からあの時のあの茶碗、千 玄室のたてたあの茶碗・・・
どういう訳か、ご遺族の方が持っていて、今日はこの茶碗でお茶をたててくださいと言われた。
心をこめてたてたその茶碗を押し上げたその時、それまで無風だったのが、サッーと風が吹いたという。
このところ涙腺が弱くなったのか、目の汗が止まらない。
いつの時代も日本を思い続けた人たちがいる。
千島の奥も沖縄も 八州のうちの守りなり 到らん国に勲しく 努めよ我が背つつがなく
ご存じだろうか?・・・実は蛍の光の4番である。
蛍の光は1番と2番しか歌われなくなった。3番と4番があるが、戦後、どうも国家主義的内容と言うことで歌われなくなったようだ。
今では蛍の光自体、歌われていないかもしれない。
この歌詞を領土のことを言っていると捉えて持ち出したのではない。
努めよ我が背つつがなく・・・である。
これは、子を思う母の言葉である。
その強くて深い母の想い・・・当然、生きて帰ってきてほしいと思っている。しかし、あえてそれをつつがなく努めよと言っている。
そんなにまでして、築いてくれてきたこの日本。
最近では、戦後の大変な時に歯を食いしばって頑張ってきてくれた。
亡くなった人たちも、生きてくれ、達者で暮らしてくれと願って死んでいったに違いない。
そんな我々は今、どんな国にしているのか・・・
後世に託した人たちに、あなたたちの命を掛けてくれたその思いをこうして、ちゃんと平和に繁栄させて、暮らしてますよと言えるのか・・・
靖国に祭られているのは、なにも先の戦争で亡くなった方々だけではない。
明治の戊辰戦争後に幕末に功のあった人たち、戊辰戦争でなくなった人たち、その英霊の為にたてられた靖国神社である。
8月15日・・・この日くらい、英霊に対して思いをはせてもいいじゃないだろうか。
語り継ぐ歴史を忘れた民族は滅びる。
誰かが言った言葉だが、教育が大切というならば、先ず一番に教えなきゃいけないのが、祖国の歴史であろう。
そこから湧き出るエネルギーこそ、国の発展に寄与すると思う。
この国の大切さ尊さを教えずして、なんの教育かと況や・・・
国民の根っこをつくるのが歴史であり、教育である。
正しい歴史の振り返り無くして教育なし。
それをタブーにしている歴史など歴史ではないと言っておこう。
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