世に資格なるものがある。
特に日本にはたくさんある。
日本人にはこの資格がものすごく魅力的に感じる。
外国人、特にアメリカ人は他人から与えられる資格に興味はないそうな・・・
ある程度基本がわかれば、後は自分流・・・オリジナルを求める。
アメリカ人は自分が楽しめればいいのだ。
これが日本人だと、資格を取得するということになる。
誰かに認められることにこだわる。
日本にいろんな資格があるのは、アメリカ人から言わせるととても滑稽に見えるらしい。
ご当地ものの資格がある。
かながわ検定、横浜検定・・・もある。ビックリはしない。
いろいろと、何万件とあるらしい・・・
とにかく検定好きである。
こういうところから日本人の真面目さがうかがえる。
どっから来たのか?この真面目さ・・・
筆者は、茶道だと思う。
千利休から始まった茶道がその原点のような気がする。
日本人はこれ以後、何でも道にする。
華道もそうだ。柔道も、剣道も・・・
元々は人を殺す道具の刀までも道にする。
この道、タダの道ではない。人間学の道にまで高める。
これには四書五経の儒教の影響が強い。
一所懸命に、その技を磨くことにより、人の道を説く。極めようとする。
そして、鎖国によって、日本人的なものの考え方が純粋培養されてきた。
ある意味江戸時代が日本人の考え方をしっかりと全国に広め増強したと思う。
その担い手が寺子屋である。
当時全国に4千とも7千ともいわれる数の寺子屋があったそうな。
そして、どの寺子屋でも”道”を極めようとしていた。
人間道とは・・・これが寺子屋の真髄なのだ。
それが、明治となり実学最優先となった。
下地の人間学がしっかりとあったところに、実学である。
スポンジが水を吸い込むように、富国強兵学がしみ込んでいった。
植民地になっちゃいけないという危機感。これがより一層、実学を後押しした。というよりそのために富国強兵がなされた。
全ては国を守るため。
決して、よその国を攻めるためではない。断じて。
調子に乗ると天まで昇るのが日本人の悪い癖であるからして、今のこんなことになっているが・・・
これもまた、しょうがないのかもしれない。
話が脱線・・・
とにかく、道が好きな日本人は、資格好きであり、基本的には真面目なのだ。
そういう筆者も資格好きである。
趣味になっているのかもしれない・・・
これまでとった資格が、1.2.3・・・けっこうある・・・
こんなところもドップリ日本人だぁ~
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