忌み嫌う・穢れに対して、好意を持つ・晴れという言葉がある。
どちらがいいか?と問われれば、そりゃ誰だって、プラスのほうがいいと言う。
プラス思考、プラス志向という。
もちろんプラス思考じゃないと、プラス志向に向かわない。
先ずは、プラスに思考すること。
なんでも?・・・そう、なんでも。
人間どうしても、うわさ話や他人の批判がしやすい。
話となると、「ねぇ、ねぇ知ってる?あの人がさ・・・」と始まると、大抵は悪い話が続く。
「あの人がさ、とってもいい人なんだよ。」とは続かない。
他人の不幸は蜜の味、とはよく言ったもんだ。
これは何を意味するのか、ここにいない人のことを阻害することにより、今ここにいる仲間意識を増長させる。
であれば、仲間は固いに越したことはないという潜在意識の表れか。
かくいう批判されたここにいない人はいつも仲間はずれかというと、そうでもない。
その時だけ。他の場所では仲間になる。
こんなことが何となくわかっていて付き合っている。
それだけ大人なのか、大人の付き合いか。
それでいいと思う。
誰も仲間を求めあう弱い生き物が人間だから。
認め合うとは生きる術なのだ。
認めないのも生きる術である。
相反するわけではない。
これはその次に来る男という性と女という性の違いでもある。
あくまでも性の違いである。男の中にも女の性があるし、女の中にも男の性の特徴がある。
男は外に向かって獲物を探す。それが古代の男の役目、生きる術、本能である。
女は守るのが役目。自分の廻りの大切なものを守りたい。一番は家族だろう。
自分が価値を感じるものを守りたい。時にそれは保守的である。
外に向かって社会を広げる男
内側、自分の大切なものを守る女
この違いをわかる必要はない。到底わからない。
ただ理解はすべきだ。そういうものだ という理解だけで十分、というかそれ以上はできない。
自分の考えは自分がつくってきたということを疑おう。
自分の考えはどこから来たのか?と疑うこと。
何もいつまでも自分を疑う必要はない。ほんの少しでいい。
でも、考え続けることが本能という催眠術から逃れることになる。
そうして人間は進化してきたのだから。
誰かに伝えようとかあまり思ってないんだ。自分に言い聞かせているのが一番の目的で、その時自分がどう思っているかを記録しているような、そんな感じでブログ書いている。
投稿情報: こば | 2012年10 月25日 (木) 08:22