人様に何かを教えるくらい偉くは、当然であるがない。
リフォーム塾や、耐震補助金説明会、そして、先日は、ハウスメンテマスターの講師などたまにするが、
教えるという感覚ではない。
ただ単に、自分の持っている情報、知識を吐き出している。
いわゆるアウトプットしているだけである。
インプット、以前は、こればっかりだった。
10年以上前は色々なセミナーに出かけていって、情報ばかりをあさる様に吸収していた。
情報吸収に飢えていたのだ。
そして、セミナーで得た情報を具現化することに、面白さを感じていた。
それまで、知らなかったことをスポンジが水を吸うように吸収した。
たぶんそんな感じだったと、今思う。
そういう時期があって、今があると思うから、それはそれで通らなければならない通過点だったかもしれない。
ある時から、インプットばかりではダメだと思った。
アウトプットしなければ・・・
じゃ、何をアウトプットするか・・・
出来ることしかできない。
んで、耐震とか、リフォームのこととか、そういった自分の知っていることくらいしか人様の前でお話しできない。
人間の在り方、人間学のようなものもインプットはしてきたつもりだが、
じゃ、それを人様の前で話せるかというと、出来るもんじゃない。
そりゃ、たまに社員さんや職人さんの前で、偉そうなこと言いますよ。
でも、できませんよ、他人様の前では・・・・
自分にできるアウトプット、
それは、普段からやっていること。
拙には、普段の仕事のことしか話せません。
いまでもそうです。いろいろなセミナーに呼ばれたりすることもあるけど、
そこで話すことって、決まっていて、職人倶楽部とかハウスメンテマスターの話くらい。
一般の方向けには、耐震の話とか、リフォームのコツとかの話・・・
これくらいしかない。
世に先生と言われる方がいる。
いろんな先生がいるが、こと、教育者となるとこれは、はたしてどのくらいいるだろうか?
教育というものは、なかなかどうして出来るもんじゃない。
一番身近に、子供の教育がある。
拙にも、愚息と愚娘・・・二人の子供がいる。
これが、なかなか出来ていませんな。教育が・・・
仕事では偉そうなことを言っているが、一番身近な子供に対する教育が出来ていないとなると、
他人様にはいえません。
もしかすると、自分に対する教育が出来ていない・・・?
自分に対する教育とは、自分に厳しくすること。
そりゃそうだろう、自分のやっていることが、全然できていないのに、
他人に何言って、聞いてもらえませんわな。
そのくせ、人を責めるようなことを思ってしまう。
教育が出来ていないとか、なんでわかってもらえないのだろうとか、
自分の都合ばかりで判断している。
自分に対する教育をもっとしなければ、自分を磨くってやつですか。
先ずそれがなきゃ、始まらないのか・・・
自分に対する教育の程度が低い人間ほど、他人に対して、不満を持つのが多いようだ。
だから、拙は教育者ではないということが分かった。
教育者なんて大それたことは初めから思ってもいないが、
もうすこし、他人が自分の思った通りにならないかと思う次第である。
こんなことを思うこと自体が、解っていないということかも・・・
人間的に向上したいと思う反面、出来ていない自分が見える。
出来ていることから、教えるということも大事なことかもしれない。
そうか!自分で出来ていることを教えていけばいいのか。
うんうん、これって開眼かも・・・
おっと、開眼も何回繰り返してきたことか・・・
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