久しぶりにLLP職人倶楽部の会議があった。
会議にかこつけた新年会と言ったほうが正解だろう。
盛り上がったのは、坂の上の雲の話である。
というより、そのあたりの日本のことである。
拙は、日本人の自虐史観と言っているが、見事なまでも刷り込まれている様である。
参加した人の年代というと、70代・60代・50代・40代・30代とさまざまであった。
特に自虐史観の刷りこみが明確であり、その刷りこみが正しいと思い込んでいる人は、
学歴だけとれば、低い人と高い人に集中しているように思う。
そこそこの人には、刷りこみも少ないように思う。
日本人の自虐史観は、簡単にいうと、勉強しなかった人と、インテリに多くあり、
普通の人には、少ない。と言える。
これは何を意味するか?
戦後の教育の中で、小学校低学年から刷りこみが巧妙に始まっていたということである。
そして、大学校ではそれが、イデオロギーとして、ある時期、インテリのステータスになっていたということである。
ここでも書いたが、戦後教育の中、近代史はタブーになっていた。
なぜなら、戦勝国の敗戦国への自虐史観の刷り込みは、常套手段であるからである。
拙は、戦争支持者では決してない。
真実を知りたいだけである。
日本人としての誇りを持ちたいと思う。
サッカーなどでは顕著だが、スポーツの国際試合で、国歌斉唱の時、あのアメリカでさえ胸に手を当て真摯に歌っている姿がある。
日本人はどうであろうか・・・
最近でこそ、サッカーではカズなんかは(ちょっと古いが・・・)そうしている。
なんだか、国歌斉唱というと恥ずかしいような気がするのは、拙だけだろうか・・・
これが、自虐史観刷りこみの影響かもしれない。
呉善花なる韓国の女性が、日本の大学で教鞭をとっている。
彼女は大の日本びいきである。
最初から日本大好きではなかった。というより、大嫌いであったそうな。
刷りこみは日本だけではない。お隣韓国でも、日本への刷りこみが行われてきた。
こちらは、自虐史観とは正反対である。
それがいつしか日本大好きになり、今では、その素晴らしさを日本人の学生に伝えている。
こんな話がある。
ある大学生、アメリカへの留学生活が長かったようである。両親は、国際人として立派になってほしいと留学させていたそうな。
ある時、ひきこもりになった。長くひきこもりが続いた。
たまたま、呉先生の大学の授業を聞いた。
まさに目からうろこのように思えた。スポンジが水を吸うように、心に入ってくる。
聞き終えた時、涙が止まらない。
呉先生の話を聴いていると自閉症は治って行った。
国際人にならなくては・・・との思いから、暗闇に入っていったのを、やっと日本人としての自身がつくように感じられた。
そりゃそうだ、外国人は皆、自分の国が世界で一番という自負を持っている。
ブラフでも、張ったりでもいい。自国が一番である。
それをぶつけ合い、そして、真の交流が生まれる。
自虐史観しか刷り込まれていない日本人は、国際人としての根っこがない。
根っこが出来たようだと、呉先生はその学生の事を言っていた。
日本大嫌いだった韓国の女性が、日本の素晴らしさを日本人に教えている。
その話を聞いた時、拙も思わず涙した。
先ずは、近代史の正確な検証こそ急務ではないだろうか。
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