久しぶりの休みである。
でも、完全休養ではない。
というのは、夕方からは例のLLP職人倶楽部よこはまの会合である。
貧乏症とでも言うのか、完全休養日は正月休みからはない。
そんなこと言っていると、人間学の連中から、365日弛まず研鑽を積むことだ!と叱られる事は解かっている。
ま、筆者もどっちかというとそっち側の人間だからして、言わんとするところはよくわかるが、
それでも、なんていうか、予定が入っていたとしても、休みというとなんだか、ほっとする。
休みの日に仕事場にいくと、誰もいない、来るはずもない、凛とした静寂の中で、自分ひとりでいる。
これが、けっこう集中出来るのだ。
普段の事務所は、凛とした静寂はない。
ざわざわとした雑踏といおうか、ちょっと違う・・なんとなくプレッシャーのかかった緊張もある。
そういった気のエネルギーが漂っている場所が、いったん、休みになると、凛としたものが漂い始める。
これは、いつもその場に緊張感があってのものだねかもしれない。
何もないところに、凛とした気持ちよさは生まれないのかもしれない。
この空気の中にいるのがなんだか、好きである。
だからかもしれないが、休みの事務所にいくのが、これがけっこう嫌いではない。
集中して、仕事するでも、本を読むでも、なんでもいいが、ものすごく集中出来る。
この時間が実は至福の時でもある。
と思って自分の時間を楽しんでいると、なんだか、ぞろぞろと社員もやってくる時もある・・・
ああああああああああああああ、ありがたいような、邪魔されたような・・・
向こうもなんだか気まずそうな顔をする。
筆者は社長だからして、休みの日まで社員さんが、自主的に仕事するというのは、感心することではある。
しかし、向こうはそう思っていないようである。
筆者の顔を見ると、あっいけねぇ~というような顔をする。
中には、一回帰ってから、いるかどうか、確認してから、再度入ってくる者もいる。
そうじゃないのかもしれないが、なんだか、休みの日まで、社長の顔を見たくないのだろう。
そこに、でんといるから困っちゃうのだろうか・・・
でも、多分休みの日に、強制感なくほんのちょっとでもやり残した仕事をするのが、気分的にいいのかもしれない。
結局、筆者と同じかもしれない・・・
気持ちは休みだから、強制される観念はない。
社長といえば、普段の日でも休むにしても誰からも何も言われることはないが、それでもそういうものでもない。
サボっていることになると、自分には嘘は付けないから、気持ち悪い。
休みの日は、休みだからして、何時でも止められる精神的なアドバンテージがある。
これがなんだか、いい。
何時でも気が向いたら、止めていいのである。だって休みだもん・・・
この縛られ感のない自由時間が何ともいえず、いい・・・
こんな休みの楽しみ方、いかがなものだろうか?
だれも、やりたいなんて人はいないだろう
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