子をもって初めて解かる親の気持ちとは良く聞くフレーズである。
確かにそうであろう。
自分の子供がこんなに可愛いとは、もつまで解からなかった。
その可愛い、愛おしいと思う気持ちが、親としての心の芽生えであろう。
可愛い可愛いだけでは育てられない。
子もまた、親の気持ちを受け取り、人間へと昇華していく。
インドでオオカミに育てられた子供が、発見されてから、どんなに教育しても、ついには人間らしい行動や考えには至らなかったという話を聞いたことがある。
親も初めから、親ではない。
子を育てる過程で人間的要素を昇華させていく。
仁、智、礼、義、信などというとまた、右寄りだな~とご批判を受けるのかもしれないが、そうではない。
儒教というと封建的に聞こえるかもしれないが、人間の基礎を養うにはこれが一番と思う。
そういう筆者もそれほど詳しい訳ではないが、思い当たるなりに書きなぐってよい場に甘えて書いている。
今一度、儒教というものを見直そうではないか・・・
現代で必要なものがなにか潜んでいるような気がする。
儒教はもともと中国で出来たものだが、日本では、江戸期には既に日本的な儒教が全盛を迎えていたそうな。
その基本が寺子屋教育であるという。
何が言いたいかというと小学校に寺子屋教育を復活させるべきである。
すでに全国で動きが出ている。
以前にも書いたことがあるが、幼稚園でも寺子屋教育を取り入れているところがある。
子曰く、学びて思わざれば・・・・いわゆる論語の素読である。
この素読がいいらしい。大きな声を出して読む。
読むというより暗唱である。
意味は解からない。それでいいのだ。
意味がわかったら大変である。後々段々と意味が解かってくる。10年後20年後かもしれない。はたまた30年後かもしれない。
小学校や中学校時に暗唱した、漢文や古事記や万葉集の一節は誰にも少しは残っているだろう。
その時は言われるがままに暗唱したものだが、今思うとそれはそれで、なかなか味のある文であることが解かる。
もうだいぶ前のことであるが、急遽、仕事で材料を田子の浦の倉庫まで取りに行かなければならない事があった。
静岡県の田子の浦である。以前は公害でも有名なところであったが、思い出したのは万葉集の一節だった。
そう、例の、田子の浦ゆうちいでてみればま白にぞ富士の高嶺に雪はふりける。である。
何がどうしてか、良くわからないが、この一節が不思議と覚えているのである。
そして、本当に見上げれば、雄大な富士山。ここから見る富士はすごいものがある。感動ものであった。
それを暗唱した時は、良くわからずいるが、目の前にその姿を見た時に感動した。35年経っているのである。
こんなことって、たまにないだろうか・・・
この小さな感動がいいのである。
以前に教育勅語を暗唱させている幼稚園のことを少しばかり書いたが、ものすごく大切なことをやっていると感じる。
教育勅語と言うと、ある年齢より上の諸貴兄姉氏には、戦争の為に利用した精神訓のようにお思いだろう。
事実確かにそうである。
特攻で死んでいった人たちがいる。しかし、筆者なりに不思議だと思うことをタブーを書こう。
じゃなぜ、同期の桜がカラオケにあるのか・・・加藤隼戦闘隊がカラオケにあるのか・・・
もう30年以上前になるが、鶴田浩二が同期の桜を耳に手を当てて唄っていた。
忘れてはならないことである。
であれば、全てを捨てるんではなく、悪かったものは悪い、しかし、いいものはいいと見直そうではないか。
忘れてはいけないもの・・・それは確かに特攻のみならず、日本の為にちっていった英霊であろう。
その遺書には、どれもこれも父母、兄弟に対する感謝の言葉ばかりである。
戦争を知らない子供たちばかりになってきた日本だが、先の戦争のことは語り継がなければならない事のひとつでもあるはず。
もう一度、日本の近代史を見直そうではないか・・・
そこには一つ、教育勅語がいいと筆者は思う。
親の話とかけ離れてきたが、この教育勅語が、人間として、日本人としての真髄が詰まっているような気がする。
これが出来た経緯を少しばかり聞いたことがある。
井上毀が起草したらしいが、命がけの作業だったそうな・・・
全文をご紹介したい。
朕惟フニ、我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民、克ク忠ニ、克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。
爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修め、業ヲ習ヒ以テ、智能ヲ啓發シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵ヒ、
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。是ノ如キハ、獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ 遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ於シテ悖ラス 朕、爾臣民ト倶ニ拳々服應シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
どこに戦争へと導くことが書かれていようか。
あるとすれば、おそらく 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。であろう。
これが、今の日本人には完全になくなっていると言っても過言ではない部分でもある。
自国の安全に対する無関心がはびこっている。
911が起きた当時、兵役に志願する若者が一挙に増えたアメリカ・・・
自国を守ろうとする意識。あのアメリカでさえそうである。
廻りを海で囲まれていて、防衛力が他国頼みの、極東の小国の防衛意識が気薄なのが、他国からみれば、おバカに見えるのかもしれない。
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ は当然の考えで、何も日本のことだけではないであろう。
後は、この教育勅語に込められているのは、人間として日本人としての美学である。
これを幼稚園児が暗唱して、、、そして大きくなって大人になった時、家族を愛する優しい人間になるのは容易に想像できる。
まさに、仁であろう。
今日は特に長くなってしまった・・・
感じるままに書きなぐっているが、実は、このブログのファンだという声を頂いた。
調子に乗って書いてしまった次第である。
もうひとついい訳を言うと、やはり、デンマークに勝って決勝トーナメントに行けた喜びがさせたのかもしれない。チャンチャン・・・
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