論語と算盤とは、あの渋沢翁の言葉だが、最近すごいことを言うもんだと感じ始めた。
こんな話を聞いた。
明治の近代日本の創世期、たくさんの偉人が出た。
前述の渋沢栄一、あの福沢諭吉、だけじゃない数え上げたらきりがない。
ものすごい数の偉人たちである。
明治維新から日清日ロの戦いあたりまでは、政治も経済も輝かしい日本の時代である。
なぜあんなにも多くの偉人達が、ものの見事に近代日本の基盤を築けたのか・・・
それが、江戸時代の寺子屋教育にあるという・・・
江戸時代の寺子屋教育は、いの一番に規範教育をするという。
いや、こればかりを徹底的に行うのだ。
規範教育とは、人間の基本的なもの。
挨拶、態度、そして、論語の素読である。
これを徹底的に行ったらしい。
そして、四書五経を勉強する。四書五経というと中国古典だが、江戸期にはこれはもう、日本独自の解釈や勉強の仕方が出来上がっていたという。
この基本があって、富国強兵政策があった。
要するに西洋の実用技術の出番である。
東洋的な人間的な精神の規範ががっちり出来ていたところに、西洋技術の国をあげての取り入れがあった。
これは、考えただけでもすごい・・・
これじゃ、あっという間に、国として栄えていくのが理解できる。
ところが、明治期の成功者は江戸期の規範教育の上に技術があり成り立っていたが、明治期に入ってできた学制が規範教育の重要性を無視した感がある。
寺子屋教育ではなく、明治期に教育をうけた人たちが、昭和になって時代をリードする。
日本独自の四書五経、中国古典の恩恵を受けていない人たちがリーダーになってしまったというのだ。
これは、もう今の日本にはまったくないと言っていいほどのことである。
四書五経といって今の日本の若い人がどれほど知っているか・・・
このあたりが病む日本を救う一つのキーワードかもしれない。
論語と算盤と言った、渋沢栄一。
何をか思わん・・・
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