人は一人では生きていけない。
聞きなれた言葉である。
確かにそうだ。
しかし、それをことさらに強調していいわけではない。
助け合いの精神。確かに大切である。
岡田ジャパンも、チームの結束を強調していた。
日本人的な要素、受けの良さがある。
俺、俺と自分を主張しすぎるのが嫌われる。
日本人は集団の中にこそ大切感を持っている。
個は二の次、先ず優先すべきは集団である。
農耕民族であり、島国の小さな世界が、その大きな要因だろう。
村八分という言葉がある。のけものにされるのが日本人にとって、これほどいやなことはない。
外国では神との信頼が出来ていれば、他の人は関係ない。
幸せもそうである。個のものであろう。
これが宗教観である。
一神教と多神教の違い。
アラーやキリストの宗教観と八百万の神々との違いである。
何物にでも神が宿っていると発想する日本人は、他者との連携感は特に重要である。
しかし、これがあまり行き過ぎると良くない。
何にでもメリット、デメリットがある。
行き過ぎるとデメリットが目立つ。
そう考えるのも又、調和を保とうとする価値観の成せる業かもしれない。
調和や協調性を考え過ぎると、頼る癖がつく。
甘えの構造である。
それでは個の力は低レベルになる。
所詮、チームは個の集合体であるから、それぞれ個の力が弱ければチームとしての力も弱くなる。
個の力がレベルアップしてこそ、チームも強くなるというもの。
これがあまり頼り過ぎると、甘えとなる。
そして、そういう環境しか解からなくなると、甘えているのが解からなくなり、他人のせいにする。
自分の行動は全て他人のせいにする。
行き過ぎると、自分で取った行動なのに、助けてくれない、なんて言いだす。
助けてくれない・・・とは、どういうことだろう。。。
自分のやったことがいいと思っていてやっているはずなのに、批判されると廻りに援助を求めるのか・・・
でも、どうやって助ければいいのか・・・ムムムなかなか難しいものである。
現代の人は、なにぶんにもアメリカナイズされていて、権利を個として強調するが、逆転されると和に甘える。
簡単に言うと、調子のいい時は個の主張をするが、一旦、立場が怪しくなると和が大切だとばかりに、他人に甘える構造を持っている。
そして、助けてくれないとなると、今まで仲間だった者にこそ、その矛先が向けられる。
相手が敵と思っていたら、身内から攻撃される。
これじゃたまったもんじゃない。
中途半端に、アメリカナイズされては、男子はもたない。
というと、女子に多いのか・・この手は・・・
確かにそうであろう。身近にも一人いるのでたまらず書いてみた・・・次第。
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