筆者はサッカー派だ。
高校から大学とサッカーに没頭していた。
1時本気でプロになろうとしていた。
ほんのちょっとの間のかすかな夢だったが、当時はけっこう本気だったことを思い出す。
Jリーグの出来るずっと以前の話である。
カズがブラジルでプロになるもっと前だ。
奥寺がドイツ・ブンデスリーガでプロになった話を、先を越された感じで聞いた。
ま、古い話だが、じゃすごく上手だったかというとそんなことはない。
ぜんぜんその他大勢の口だが、それでもサッカーに情熱を燃やしてた。
あのころの日本のサッカー界ってのは、冬の時期である。
社会人の日本リーグには閑古鳥が鳴いていた。
時代は、ヤンマーの釜本、ネルソン吉村や三菱の森、ちょっと若くて古河電工の永井など面白い選手も多かった。
そんな中、読売クラブがクラブチームとして変わった存在、日本のサッカーに一石を投じ始めたのが唯一の明るい兆しのようだった。
当時は、日本にはサッカーは根付かないと思っていた。
プロになるなら、外国しかない。
ブラジルに渡ってプロになる・・・これはキングカズよりも筆者のほうが先に考えていた・・・フフフ
それは大学時代の話で、すぐに夢を断念。
だから、ドーハの悲劇の時は、夜中に一人唖然として、涙を流していたし、Jリーグの発足を夢のように見ていた。
Jリーグの華々しさに、これは本当だろうか・・・でも日本に長くこんなことが根付くだろうかとも感じていた。
けっこう根付いている今を思うと、昔の日本リーグを知る者としては、感慨深いものがある。
そうそう、木村和司とは同年代なので、最近の木村和司をテレビで見ていると老けたなぁ~と思ってしまう・・・がっかりする。
当時、西が丘サッカー場で見た明治の木村は輝いていた。さっそうとオイラの前をドリブルで抜いていった・・・
この時、プロはフロに変わったのかもしれない・・・
今の日本代表の人気もうれしい限りである。
ましてやワールドカップに出て、しかも予選を突破するなんて、考えられないことなのだ。
今の日本サッカーを変えた功労者はラモスかもしれない。ちょっと古いがジョージ与那城も頑張った。
けど、やっぱりやっぱりキングカズだろう。
そのカズがフランス大会にいけなかった・・・ラモスが怒っていたが、あの時カズを連れていかなかったのは絶対に間違いだと今でも思う。
岡田さんは今回株を上げたが、カズを外したあの時の決断の十字架は消えないことを一生後悔すると思う。
でもそれが、あの南アフリカの快挙につながったのかもしれないし、カズが未だに現役を続けている要因だろう。
それ以外に考えられない。
白髪が目立つようになって尚、がばっているカズに尊敬という言葉では言えないすごさを感じる。
43才になったのか。。。
サッカー派かラグビー派かを書こうと思ったら、ついついサッカーばなになってしまった・・・
ラグビーはあんまり知らないが、今日テレビを見ていて感じたことがあるから・・・また書くね^^
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