二日続けて、東京に行ってきた。
両日ともジェルコの集まりである。
一昨日は、人間学研究会。
・・・スゴイことを研究しているねぇ~~~・・・
いやそうでもない。いやいやそうかもしれない・・・
今、胸を張って、人間学なんていうことはけっこう大事なことかもしれない。
こっぱずかしいところは多少ある。
・・・出来てもいない癖に、にんげんがく?
確かにその通りである。
でも、出来てないからこそ、チャレンジする。
一昨日は久しぶりに矢野先生の薫陶を受けることができた。
そして、昨日は、リフォームサロンなる集まりに出席。
前々からこの集まりがあるのを知ってはいた。興味もあった。
始めて出たが、感想は雑多な感じである。
人は集まることに意義がある。人が集まれば情報がある。
その情報との出会いがチャンスであろう。
チャンスが転がっている。どれをつかむかは自由だ。いや掴まなくてもいい。これも自由。
それでも出会うと出あわないとでは、雲泥の差になるのであろう。
昨日の出会いはなにかと、この時間に反芻してみた。
思い出すのは、雨漏れ研究の人・・・と、山崎社長の言葉・・・福原さんの笑顔・・・
あとは・・・
雨漏れ研究のことは以前から知っていた。今はまだちょっといいかもしれない。
山崎社長は拙にとって素晴らしいメンターである。
この思い込みのエネルギーが人を巻き込むのだ。
気持ちのエネルギーが強い。他人によっては偏っているという。
偏っていない人なんていない。みんな個性をもっている。
無くて七癖、そのひとつでも強烈な癖があれば思いのまま出せばいい。
出すことによってコミュニケーションになる。
ぶつかり合って石が丸くなるように。
ぶつかりあわない石は角ばっている。だから、コミュニケーションしていない人、苦手な人は角ばっている。
角ばっていてもいい。その角が信念をもった角なのか・・・
ぶつかり合って尚、まだ角が出ているようであればよし。
その角は本物である。ものすごい価値がある。
尖がって出っ張っているその先を見るとちゃんとま~るくなっている。
出っ張りは長所という。ちゃんと人に刺さらないように丸くなって・・・
口角泡を飛ばすことは大切なことだ。
何でもいい、ぶつかり合てもいい、コミュニケーションをやってみようじゃないか。
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