その歴史は、山葉寅楠が明治20年にオルガンの修理を依頼されたことから始まったらしい。
そんなに昔にオルガンとは、ヤマハの始まりらしいと言えばそれらしい初まりである。
その長い歴史の中でも、ヤマハ中興の祖といわれる、川上源一の逸話が面白い。
ポプコンを主催しているが、やっぱり見る目があったのだろう。
ポプコンでグランプリをとって、世界歌謡祭に出場した日本人歌手。
当時の評価は、だれも優勝するとは思っていなかったようだ。
誰が何と言おうと、「時代」だ。独断である。
下馬評はよくなかったらしいが、川上源一の鶴の一声で、世界歌謡祭のグランプリに輝いた。
中島みゆきである。
それが、川上源一の力。時代だった。
それから、まさしく、中島みゆきの時代が来る。
中島は、ずっと言っていたという、「川上源一の葬儀の時は、私はどこにいても必ず駆けつけて、時代を歌う」と。
平成14年、言葉通り、中島みゆきは絶唱した。
一時代を築くということは、凡人には解らないことがたくさんあるのか・・・
100年以上続くということ自体、普通のことではない。
そんな話を熱く語ってくれる、社員がヤマハにはいる。
その話を聞いて以来、ヤマハのキッチンンをメインに扱っているが、何も、こんな逸話だけで扱っているわけではなく、これはこれで内容もなかなか好評である。
けれど、拙の頭には、どうしてもこの逸話が片隅にある。
どうしてもこんな話に弱いのである。
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