久しぶりに叱った。
いや職人さんにである。
叱ったのであって、怒ったのではない。
叱ると怒るとは違うと思う。
怒りをぶちまけるのはよくない。
人間である以上、怒りはある。誰でも持っている。
これの大小が性格にも大きく影響を及ぼす。
大きな怒りを持っている人がいる。
それが、ふとした時に現れる。
ふつふつとした怒り、ドロドロとした怒り・・・
時にはこれが自分の身にも現れる時がある。
ガンとかになる時もある。病気の原因はこれがけっこう多いと思っている。
世ではいわゆるストレスといっている時もある。
ストレスって、もともと持っている性格によってかなり違う。
ストレスの感じない性格っていうのがある。多分あると思う。
ストレスを感じてなくても、ホントは貯まっていって、時限爆弾のようにある時爆発する、そういう人もいる。
そうじゃなくて、もともとの性格がストレスを感じない、というか、解かっていてその逃がし方とかがうまい人がいる。
もっと言うと、チャレンジしている時って、誰でもストレスなんて感じていないのではないだろうか・・・
よいストレスは、これは大いにけっこう。
やりたくないなとか、かったるいなとか、こいう心持でいるとストレスになる。
そのとらえ方に問題がある。問題の捉え方に怒りが関係している。
もともとの心の問題だから厄介だ。
解決方法はある。
自分がどのような怒りを持っているか知ることだ。
誰でも怒りはある。小さい時に怒られる、当然だ。
感情が揺さぶられることがある、みんなそうして大きくなった。
その体験の複雑さ、多さ、怖さ、これがみんな怒りになる。
怒りがない人なんていないし、またなくては、これまた困る。
怒りは、継続することのパワーになるからだ。
心のパワーだ。
人間生きていくのにパワーはいる。エネルギッシュな人ほど、パワーがある。怒りがある。
怒りのない人間はパワーが弱い。継続力がない。
この怒り、2種類あると思う。
私憤と公憤である。
私憤は禁物。もともとは私憤しかない。
私憤をどう公憤に替えて、エネルギッシュに生きるか。
ここが問題、人間の価値の問題であろう。
最近気になった言葉がまた思い出した。
自己の最善を他者に尽くす・・・これを徳というらしい・・・
ビジネスではこれが命題だとメンターは言っていた。
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