そういえば、肝心要が分かっていない。
徳ということを常に肝に銘じておかなければならない。
徳とは、自己の最善を他者に尽くし切ること。
以前にも書いたが、恰好よく書いといてこの様だ。
ただカッコツケのふんころがしである。
そんな諺は聞いたこともない。
そう、今、筆者が勢いで言ったまで・・・
どこからふんころがしが来たか解からないが、そういう気分である。
知り合いの居酒屋で増築があるという、これまた知り合いが直すことになるのであろう。
これ自体はいいことである。
木造であるからには、その構造に考えがいかないのが情けない。
彼に木構造が解かるか・・・その点が肝心なのに、そこに考えがいかなかった。
解かればよし。なんの問題もない。
もし、解らなければ、構造設計を協力することもできるはず・・・
筆者にしてみれば、ただ単に仕事になるならないに心が奪われていた。
別にうちには関係のないことではあるが、ただ単に業者としての習性でなんとなくそう思っただけだが、
経営者の悲しい性か、ついついそう思ってしまう。
王道を歩まなければならない。
覇道ではない。その道はもうとっくに捨てたはず。
今の心は、覇道的な考えに近寄っている。
決してそうではないと叫びたい。
収益性を考えるのは覇道的考えだけではない。
王道であっても収益性は不可欠である。
王道に一番大切なことは、理念である。
モットーであり、心構えであり、それを具現化する力である。
徳をもって成果を出す。
これがなかなか難しい・・・
成果は後から付いてくるのか・・・・本当に?
この修行がどうしても腑に落ちないところが未熟であろう。
以前は覇道的だったと思う。
売上至上主義とまではいかないが、それでもけっこうその気だった。
やはり王道でなければ気持ちよくないことに気づく。
王道と成果が結びついている企業は素晴らしい。
何が違うのか・・・
そこにいたのではまだまだだぞ・・・という声が聞こえる。
王道とは、徳をもって成果を出すことである。
収益性は存続のカギ。
存続してこそ徳も続けられるというものである。
そうか、頭で解かっていても心の底にどっと落ちなければ、自分のものにはならない。
言葉だけでは借り物である。
自分のものにしてこそなんぼである。
唐突だが、協力業者とはよく言ったものだ。
本当に協力してもらっている。有難い限りだが、これにも応えなければならない。
これは義務である。義務は果たさなければならない。
唐突だが、最近社員がやたら成長したような気がしている。
本当に成長したのか、それとも以前からそうだったのに、ただ気づいていなかっただけか・・・
おそらく後者に違いない。
筆者は人として、どこか欠落しているところがあるとは思っているが、こういうところかもしれない。
でも、観えてきたからイイじゃん・・・
今日はこのへんでご勘弁・・・
コメント