仕分けの被害は今後もっと出てくるだろう・・・
なんとなくそんな予感がする。
確かに、天下りは良くないが、ミソもくそも一緒にしている感がある。
何も筆者は官僚の廻し者ではない。
そう、ようは一部の官僚の天下りがものすごい無駄というか、もったいないというか。こんなことしていていいのだろうか・・・ということになっているのだ。
一部の官僚である。
昨日のポリテクセンター、雇用能力開発機構というらしいが、そこでも、トップのほうの天下りが問題であって、
末端の職員に何の問題もない。
というか職員自体は、ものすごく真面目な人たちである。
ポリテクセンターの講師をしている渋谷さんは、まじめを絵にかいたような人である。
と同時に、自分の仕事に誇りを持っているし、どうにかして、もっともっとよい講座をやっていきたいと思っている。
それが、ひしひしと感じる。
とにかく素晴らしい方である。
この方に代表されるように、多くの独立行政法人の職員の人たちは、皆、まじめでよく働く人たちであろう。
しかし、ここに理事長とかで、管理省庁の役人が定年まじかになるとやってくる。
いわゆる天下りである。これがよくない・・・
で、3年くらいいると高額の退職金をもらって次の天下りに行くのである。
いわゆる渡りというやつだ・・・
その下で働く職員に責任はない。
これをどうにかならないか・・・
よく考えるとトップの天下りの役人も、管理省庁のいいところまで行った人たちだから、それ相応の知識やノウハウは持っている。
役所で出来なかった素晴らしいアイデアの一つも持っているのであろう。
ということは、これも無くすのはもったいない話だ。
よく考えると、悪いのは高額の報酬や退職金である。
じゃ、これを少なくしたらいいんじゃない・・・
天下りOK。
長年の専門知識を存分に使ってもらう・・・いいじゃありませんか。
この人たちも、日本の国の為に、真面目に一生懸命、長年働いてきた人たちに変わりはないのである。
いや、若い時は安月給で夜遅くまでよく働いたのだ。
若い有能なキャリア役人は、本当に優秀である。
その人たちが全て、事務次官になれるわけじゃない。
事務次官は一人だけだ。
後は、天下り先でもなけりゃ、これもかわいそうな話である。
今まで一生懸命働いた・・・その受け入れ先を探したいというのも人情としては頷ける。
問題の本質を考えてみよう。
ようは、役人としての現役当時のサラリーが、能力、仕事の成果に対して低すぎるということ。
だから、定年まじかで出世が見えてきた途端に天下り先が気になるということ。
これが問題である。
じゃ、それを解消すればどうか・・・
若くてもキャリア役人のサラリーを十分なものとする。
役所勤めでも成果主義を取り入れるのである。
ボーナス評価でもいい。民間並みにする。いやそれ以上とする。
実際、優秀な大学をでて、真面目に国の為に一生懸命働いているんだから、ちゃんと評価すべきである。
そして、天下りは奨励する。
それまでのキャリアを活かした専門の団体に天下りするのだ。
だが、サラリーは上限300万円とする。
退職金は、役所を辞めた時だけで、天下り先からは貰わないこととする。
これでどうだろうか?
週に何日も働いていないのに、名前だけなのに、高額の給料をもらい、数年で退職金何千万円ももらうから、問題なのである。
報酬の上限を300万円くらいに決め、渡りの退職金は無し。
これで、世間の文句は出ない。
安月給で、これまでのキャリアを存分に奉仕するのだ。美談である。
法律を決めるなら、これくらいの真髄をつかなきゃダメである。
それを枝葉末節ばかりの法律、規則を決めても本質は変わらない。
これでも、穴があると思うが、もしその穴を突くような罪が発覚したら、その時は厳しい罰則が待っている。
何かというと、全資産の国への納付である。
これを義務付ける。
ま、大体、脱税するとけっこうこんな感じである。
追徴課税かなんかで、ほとんどが持っていかれるようになっている。
これくらい思い切ったことを法化しないと日本国は良くならない。
管、小沢でにぎやかになるが、大丈夫だろうか・・・
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