1995年、平成7年の1月17日午前5時46分
そう、あれから16年が経つ。
昨日、愚息が大阪出張から帰ってきた。
エコハンズの手伝いで3日間行ってきたのだが、ものすごい雪だったとか・・・
最近寒いと思っていたら、向こうは雪・・・
この時期は特に寒い。
16年前、辛かっただろう・・・
何もしてやれなかった・・・テレビで呆然と見ていた。
仲間では現地にいって来た者もたくさんいた。
それぞれにショッキングな出来事を語った。
崩れた我が家の前には、〇〇無事、◇◇にいる。・・・などの張り紙。
そんな張り紙がない家もたくさんあった。
あれから、いろんなことがわかったり、一般的になったりした。
震度5と6に弱と強ができた。
震度7・・・そんなの聞いたことがなかった。
建築業界でも地震対策が強化された。
それまでの耐震診断法が茶色のB5判の5mmくらいの厚さのものだった。
それしかなかった・・・耐震の教科書は・・・今思うとこれでいいのかという感じがするのだが・・・
それが今度はA4版で2.5cmもの厚さのものになった。
改正耐震改修促進法として平成17年までかっている。
建防協の青本だ。
壁量計算の要素や同時に施行となった品確法の要素、そして四分割法と偏心率法・・・
告示の1460号の金物規定などが同時期に施行され、これはこれはなかなかと思わせた。
前の教科書と同じで坂本先生がまとめ役として、そうそうたる顔ぶれの先生方が精魂こめてつくられた。
Eディフェンスでの実物実験の際のエピソード、いざ明日実験という前夜、真夜中までの議論は白熱したそうな。
阪神淡路のJR鷹取波をそのまま加振すべきか、低減して行うべきか・・・
昭和40年代の検体は二つ、一方は補強しもう一方は何もしていない。
真夜中の鶴の一声、坂本先生が、そのままで加振しましょうと・・・
はたして結果は想いどうりになるか否か・・・
Eディフェンスの実験を見たご尽はおわかりだろう・・・耐震補助金説明会でも何回も流している。
見事、補強したほうは倒れない。
倒れたほうは実験とはいえ、現実にあのような家が何千件もあったのか・・・
あの中で、亡くなった方が大勢いる。
その後の研究で、ほとんどの方が、胸やお腹を圧迫した圧死・・・15分以内になくなっているという。
もう少し早ければ助けられたというものではない。
揺れたのは10数秒である。倒れたたのは揺れてから、すぐである。
これでは逃げようがない。
耐震補強・・・・これしかない。
これしかないのである。
必ず来る大地震。
世界で起きる地震の8割が、この小さな国土の日本で起きている。
世界の地震の8割が、我々が住むこの日本で起きているのだ。
横浜市では、古い耐震性に乏しい住宅がまだ16.5万世帯ある。
市の補助金で耐震改修した家がこの10年で1500世帯しかない。
横浜市はまだまだやる気だ。
補助金は一般世帯で150万円・・・これは日本一である。
補助金だけがいいのではないが、行政の検査がちゃんと入る。
これだけでも公的な補助金を使う意味があるのではないだろうか・・・
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