66年前の8月15日、以前の拙は想像すらできないでいた。
でも今は、拙だけじゃない。東北の瓦礫跡をみれば、誰でもわかる。
あれが、日本全国がそうだったのか・・・
戦争を知らない子供たちという言葉はもう死語になっているが、拙がガキ、いやジャリの時分はまだ 、戦前派が半分以上いらっしゃった。
戦争を知らない子供たちというのは団塊の世代を指している。
その団塊世代も、もう定年になろうとしている。
既に赤いちゃんちゃんこを過ぎている。
うちのばあさんの口癖だったが、悠々自適のご隠居さんが55歳の定年だという。
今じゃとんでもない、考えられない。
そう、昔は55歳定年だったのだ。
それが60歳になり、年金がもらえるのが65歳が一般的になってしまった。
別にいやじゃなく、それだけ若いということだろう。
事実、昔の55歳と今の55歳では20年以上の差があるように思う。
拙ももうじき昔の定年になるが、気もまだまだ若いもんには・・・と思っている。体はだいぶきついが・・・
終戦当時、10台20台の方たちが今では80歳を越えている。
戦争を底辺でこらえてきた、支えてきた人たちが、戦後の復興をまた支えた。
すごいもんだ・・・
世界の奇跡って本当だなぁ~・・・
昭和30年には、経済的にもう戦後ではないという言葉まで出たそうな。
焼け野原からたった10年で・・・
なぜそんなことができたのか?そこまでなぜ、日本人は復活、復興ができたのか?
その時だけいきなり頑張ろうとしてもそれは絶対に無理話であることは誰でもわかる。
それまでの下地がなきゃできないことである。
その下地こそが大事であろうが、それは何か?
おそらく、この日本のおかれている地球の地理的条件がこの必然を生み出したと思うのである。
日本人の優秀性とか、精神性の高さとかいう答えを期待したであろう諸貴兄姉氏、期待はずれでザンネンでした^^
拙が思うに、その精神性や文化を育むには地理的条件が不可欠ではないかと思うのである。
四季がある温帯地域に位置し、大陸から離れているがそれほどでもない微妙な距離感、それ上の単一民族・・・
その大陸には儒教や仏教があった。
少なからず影響を受けたのは当然だが、それ以前に神道があった。
偶然とはいえ、いろんな条件が日本人を作ってきた。日本という国を作ってきた。
終戦日にちなんで書いたのだが、話がずれてしまって・・いつものことか・・・
そんな世界的にも希少な日本。
明治のころだと記憶しているが、もしかしたら、この間の戦後かもしれないが、有名な外国人博士が、世界で唯一残さなければならない民族がいるとしたら、それは日本人である。といったそうな。
今回の東北震災でも、それは実証していると思う。
66年前の、あの焼け野原からわれわれの親やおじいちゃん、おばあちゃんは立ち上がった。
なぜか・・・もちろん子供や孫への思いもあろう。それと同じくらい、戦争に命をささげた人たちの分まで頑張ろうとしたに違いない。
どちらも、同じところから発する気持ちであろう。
戦争に命をかけた人たちを英霊という。
日本のためになくなっていった人たち・・・
66回目の8月15日をどう感じるか、われわれ、一人ひとりの宿題ではないだろうか。
再開した拙いブログだが、終戦記念日に間に合って、メッセージをかけてよかった。
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