職人会の事務員です。
いつもお世話になっております。
数日前より小林の自宅のパソコンの調子が悪く、少しだけお休みを頂いております。
どうも、断線のようなのですが・・・
早めに、どこかリフォーム屋さんに来てもらった方が宜しいかと・・・
いつもお読みいただいている皆さま、また足をお運び頂ければ幸いです
« 2010年4 月 | メイン | 2010年6 月 »
職人会の事務員です。
いつもお世話になっております。
数日前より小林の自宅のパソコンの調子が悪く、少しだけお休みを頂いております。
どうも、断線のようなのですが・・・
早めに、どこかリフォーム屋さんに来てもらった方が宜しいかと・・・
いつもお読みいただいている皆さま、また足をお運び頂ければ幸いです
投稿情報: 18:43 カテゴリー: ねごと | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
パソコンの調子が悪い。もう・・・・・・・
昨日から、インターネットの接続がどうも遅い!
その理由がわからん・・・
という訳で、なんとかここまでつながっているが・・・
これだから、機械は信用できない。まして、コンピューターなんて大嫌いだ・・・
それでも、これに頼っているところが大きい・・・困ったもんだ・・・
やる気とは、なんだろうか・・・
食べる為に働く。とっても普通のことかもしれないが、食べる為だけに働くことって、あるのだろうか・・・
人間である以上何らかの感情がある。
仕事をしていても、遊んでいても、休んでいても、何をやっても感情が動いている。
そりゃ、感情の波はある。高かったり穏やかだったり・・・
それでも、何をしていても感情はある。
ただ純粋に働く為だけに仕事しているなんてあるはずもない。
好きか嫌いかほどハッキリしていないいなくても、なんとなくでもいい、感情がある。
その感情に素直に向き合ってみることって大切だと思う。
好きという感情は最も大切だ。
仕事でもなんでもそうだ。好きこそなんとかの上手なれ・・・
気持ちが高ぶる・・・
久しぶりの感覚だ。
10数年前の感覚である。
丁と出るか半と出るか・・・
賭けるって、相当の面白さがるが、冷静に事を運ぶ一方で、計算度外視の行動もある。
その先には、絶対に成功するという感覚もある。
食べることだけに仕事をしていると心底思っている人よ。
本当の働く意味をもっと正面から考えてみよう。
投稿情報: 06:12 カテゴリー: ねごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)あり遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずしていきどおらず、亦君子ならずや。
ご存じ論語の一節である。
どういう訳か、中学時代だったろうと思う。この一節が、妙に頭の隅に残っているのだ。
この中でも、朋(とも)あり遠方より来る、亦楽しからずや。のフレーズが記憶に引っかかっている。
事あるごとに思い出すのだ。
一昨日は、まさにこれだ。
同業者のあるセミナーにお呼ばれした。その後の懇親会パーティーで真の懇親会となった。
同じ想い、感じている人とお会いするとなんだか、すごく興奮する。
興奮すると筆者の悪い癖で、語る語る・・・
先ずもって、人の話を聞かず、喋りまくる・・・
そこにスイッチを入れた言葉がある。
それが、論語だ。
筆者のメンターの一人、埼玉のWさんが口走った、論語を学びませんか。この一言だ。
これが筆者の心にスイッチを入れてしまった。
その前に、もう一人広島のOさん。この方が言ったのは、耐震の解かりやすい本を書きませんか。だった。
どちらも、筆者の心がワクワクしてきて、とどめの一言が、一緒に論語を学びませんかだった。
もう、百一匹目の猿現象が起きている。
論語と耐震、全然関係ないフレーズであるが、筆者にとっては、どちらも大切なフレーズである。
天の啓示とは、こんなことかもしれない。
この朋と一緒に高め合っていきたいと思った。
投稿情報: 06:19 カテゴリー: ねごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ダイエットってホントに難しい。
人間に限らず、哺乳動物全てが栄養を取り過ぎると太る。
脂肪にかえてエネルギーを蓄える身体のメカニズムだ。
飢餓に備えてのことだが、これが自然界の中で長年培ってきた環境によって太ったり痩せたりする。
熊なんかは、冬眠前に秋の恵みを目いっぱいとって太る。そして冬眠明けの春は痩せている。
全ての動物はそのサイクルの中で生きている。
人間もそうだ。
いつの頃からか、多分この4、50年くらいのことだろうが、飢餓の恐怖から脱した感がある。
もちろん世界のすべてではないが、全地球的には人類は飢餓の恐怖に打ち勝ったと言ってもいいのかもしれない。
現在、食料は人類が生きていけるだけの量以上のものを生産出来ているであろう。
諸貴兄姉氏の冷蔵庫の中も、明日餓死しない程度以上の食料が詰まっているはず。
生きていける食料を手に入れることに、何の苦労も感じない時代が過去にあったのか・・・
今は、逆に食べることを抑制する時代。
食料をいかに手に入れないか・・・これが問題だ・・・
人類の歴史は生き延びる為に、子孫を後世につなげる為に、食料確保の歴史だ。
全ての戦争の根本的な原因はもしかしたら、飢餓の克服にあるのかもしれない。
ダイエットは、こんな人間の本能ともいえるものへの挑戦である。
大変な訳だ・・・
投稿情報: 07:06 カテゴリー: ねごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
全てが偶然ではない。
必要なことが必要なタイミングで起きる。
全ての出来事が必然だとしたら、出来事一つ一つに意味があるはず・・・
その意味は何だろうか・・・
そう考えると人間って、けっこう都合のいいほうに考えがちになる。
悪いほうには考えたくない。
これを楽観主義というのかもしれない。
楽観主義とは決して、何もせずに都合のいいことばかりが次々に起きていくだろうと思うことではないし、何も考えもなしに行動することでもない。
起きることすべてを受け入れて、そのことに何か意味があり、何者かが啓示をシグナルとして発信している・・・そう思うことである。
感受性が豊かでなければならない。
ぼうとしてたんでは、せっかくのシグナルは受け取れない。
このシグナルにはいろんなものがある。
病気もそうだ。その兆候を受け取れないでいると、大きな病気にもなる。
怪我もそうである。
その前に必ずシグナルは来る。
廻りの人が病気になったり、怪我をしたりすることも重要なシグナルである。
場合によっては亡くなることもある。
晴れのシグナルでは、結婚とか出産とかもそうであろう。
筆者は実は、出産と死とは同じシグナルと思っている。
なぜかはよくわからない・・・でもそう感じている節がある。
小さなことでは、朝、小鳥のさえずりなんかもそうである。これは吉兆である。
賑やかな子供たちの笑い声、これも吉兆である。笑顔、笑い、これはいい。
人と人のエネルギーの交換、会議なんかで議論沸騰する。これも占える。
後味感がさわやかな時は吉兆、ドロドロ感が残るようではよくない。
だから、正しい人間性を発揮することが肝要である。
それには、育ちが大きく影響する。育ちが良いとは、何も裕福な家庭のことではない。
その人間性が正しく伸びているか、これが問題だ。
正しいとは、この線で止まれ、と書く。
一・・・これに、止まれ。このように書いて正しいと読む。
だから、小学1年生の運動会は線だらけ・・・だそうな。
人間、規制を付けなければ正しく生きられないのだ。
正しい規制、これを規範という。
規範ができてこそ、後は自由に発想してよい、ということになる。
これこそ規範教育・・・昔の日本はこれだけだったそうな。
いつからか、規範などということがなくなってきた。
いや、あるのだが、重要視しなくなった。
小学校に入ると前へならいを徹底的に教わったものだが、今はどうなのだろうか・・・
素早く、ちゃんとできるまで、何回も何回も、前へならいをする。
これが規範教育の始まりだったような気がする。
その前に、頂きます、ごちそうさま、おはようございます、おやすみなさい・・・挨拶がある。
返事がある。ハイとハッキリ大きな声で返事しなさいと言われる。
大人になればなるほど、返事をしない・・・
規範が芯にあると、規範に触れると思い出すのだろう。
その心地よさが・・・
しばらく休んでいるので、今週は倫理のモーニングセミナーに出よう。
そうか、正しい規範に触れると気持ちよく感じる、だから、朝早くからあんなに集まるのかもしれない。
投稿情報: 05:22 カテゴリー: ねごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
熱い会議だった。有意義な会議だった。
というより、こんなに想っていてくれているとは思わなかった。
自分の想像以上に人は想っているってことがある。ということを実感した。
と同時に、自分の情けなさ、無力を痛感した。
と同時に、こみ上げてくるうれしさもあった。
と同時に、澱んだものがかき回される快感も感じた。
これまでやってきたことが、正しい方向かもしれない。
ちゃんと通じているのかもしれない。
受け取っていてくれていると思った。うれしかった。
ちょっとしたブレイクスルー感だ。
だが、これは序章に過ぎない。
もっと大きなブレイクスルーが来る感じがする。
いや、しなければならない。
一体感を味わいながら、成果を出す。
大切にしなければならない何かがある。
それは何だ!?
まだ見えていない。
それこそを言葉にしたい。言語化したい。
難しいことに挑戦しているかもしれない。
専門家、コンサルに頼めば出来ることかもしれないが、これを自分たちだけでやろうとしている。
もしかしたらすごいことなのかもしれない。とっても難しいことなのかもしれない。
でも、ワクワクしながらやっていこう!楽しんでいこう、笑顔で全部を受け入れて・・・
何かが動きだしている・・・・・正しい方向性だけを頼りに進んでいこう・・・共に。
投稿情報: 06:57 カテゴリー: ねごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
久しぶりに叱った。
いや職人さんにである。
叱ったのであって、怒ったのではない。
叱ると怒るとは違うと思う。
怒りをぶちまけるのはよくない。
人間である以上、怒りはある。誰でも持っている。
これの大小が性格にも大きく影響を及ぼす。
大きな怒りを持っている人がいる。
それが、ふとした時に現れる。
ふつふつとした怒り、ドロドロとした怒り・・・
時にはこれが自分の身にも現れる時がある。
ガンとかになる時もある。病気の原因はこれがけっこう多いと思っている。
世ではいわゆるストレスといっている時もある。
ストレスって、もともと持っている性格によってかなり違う。
ストレスの感じない性格っていうのがある。多分あると思う。
ストレスを感じてなくても、ホントは貯まっていって、時限爆弾のようにある時爆発する、そういう人もいる。
そうじゃなくて、もともとの性格がストレスを感じない、というか、解かっていてその逃がし方とかがうまい人がいる。
もっと言うと、チャレンジしている時って、誰でもストレスなんて感じていないのではないだろうか・・・
よいストレスは、これは大いにけっこう。
やりたくないなとか、かったるいなとか、こいう心持でいるとストレスになる。
そのとらえ方に問題がある。問題の捉え方に怒りが関係している。
もともとの心の問題だから厄介だ。
解決方法はある。
自分がどのような怒りを持っているか知ることだ。
誰でも怒りはある。小さい時に怒られる、当然だ。
感情が揺さぶられることがある、みんなそうして大きくなった。
その体験の複雑さ、多さ、怖さ、これがみんな怒りになる。
怒りがない人なんていないし、またなくては、これまた困る。
怒りは、継続することのパワーになるからだ。
心のパワーだ。
人間生きていくのにパワーはいる。エネルギッシュな人ほど、パワーがある。怒りがある。
怒りのない人間はパワーが弱い。継続力がない。
この怒り、2種類あると思う。
私憤と公憤である。
私憤は禁物。もともとは私憤しかない。
私憤をどう公憤に替えて、エネルギッシュに生きるか。
ここが問題、人間の価値の問題であろう。
最近気になった言葉がまた思い出した。
自己の最善を他者に尽くす・・・これを徳というらしい・・・
ビジネスではこれが命題だとメンターは言っていた。
投稿情報: 05:30 カテゴリー: ねごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日は、神奈川公会堂で恒例の耐震補助金説明会を行った。
聴講者は少なかったが、いい質問も出たし、こちらの投げかけにもよく答えてくれた。
いわゆる反応がよかった。
講師として話していると反応がいいととてもやりやすい。
これが、無反応だとこれほどモチベーションが下がってしまうことはない。
どう話しても、盛り上がらない時がある。
これでももうかなり講師はやっているから、少しは解かりやすく伝えているつもりだ。
それが、どうもこうも全然無反応の時がある。
笑いをとれる場面でもこけてしまう・・・
もうこうなると焦ってっきて、だんだんどツボにはまっててしまう・・・
このところ多いのは、耐震補助金なんていう、ちょっとばかり、いや素人にはホントに小難しい話をしているから、
いかにどう解かりやすく、
それでいて話に興味が持てるように、
眠くならないように、・・・古い住宅が対象の話だから、これまた、高齢者がどうしても多くなる・・・
この至難の技を、約2時間、時には2時間半ばっちり行うのである。
どうだろうか・・・これって自分で言うのもなんだけど、ものすごい技のような気がする・・・
それでいて、アンケートを見ると皆さん概ね時間はちょうどよかったとか、短いと感じたとか、言ってくれる。
でもでも、それでも、無反応はある・・・
昨日は、それがけっこう反応がよかったので、気持ちよく話せた。
反応をどう上げるかって、けっこう難しい問題だ・・・
講師殺すに刃物はいらぬ、表情変えずにいればよい・・・
そんな諺ってなかったっけ・・・チャンチャン
投稿情報: 06:11 カテゴリー: LLP職人倶楽部よこはま | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日はLLP職人倶楽部よこはまの定例会だった。
ハウスメンテマスターでこの春に学校のリユース事業で大活躍だったKさんもオブザーバーとして参加してくれた。
このKさんの今回の活躍は大変なものがあった。
ここに感謝とその功績をたたえて記すが、素晴らしい方である。
ハウスメンテマスターの精神を具現化できている方と言っておこう。
他にもお手伝いいただいた方がいたが、皆さん揃って素晴らしい方ばかりだったことも付け加えておく。
そのKさんがいたからかもしれないが、昨日の会議は良かった。
以前にも書いたが、最近の定例会は本当に良くなった。
大人の会議になった。
本当に以前はすごかった。怒鳴り合いだった気がする。そして時間切れで何も決まらない・・・
張本人は筆者である・・・
その張本人がずいぶんとおとなしくなった。
昨日はなるべく余計な発言はしないと決めていたからかもしれないが、会議の席上では無駄口はたたかなかった。
それでも2時間半かかったが、これで、筆者が口を開いていたら完全に時間オーバーだったろう。
黙って聞いているとこれがけっこう、無駄口が多い。
無駄口と言うと大変失礼かもしれないが、やはり、やはり話をまとめる意識のある人が会議の進行役をしないと無駄に時間ばかり掛かるような気がする。
その無駄口の一番の原因だった筆者が、黙っていただけで、会議が30分は短くなったような気がする。
それにしても、最近のLLPの会議が有意義になりつつあるのは喜ばしい限りである。
なんていうか、ゴツゴツしていないというか、実にスマートになってきた。
それでいて熱がないのではない。けっこう口角泡を飛ばす場面もある。
なんだか、業と言うかそんなものの影が薄くなった感じだ。
そう、以前はその業が強かったと思う。
ま、言ってみればこなれてきたのかな。
ま、こなれすぎないように・・・角が取れ過ぎると味がなくなるものもあるようだし・・・
投稿情報: 05:57 カテゴリー: LLP職人倶楽部よこはま | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
リフォーム業界が、今年に入ってから、うごめきだした感がある。
建築業界と言ってもいいかもしれない。
ある意味業界の再編が起ころうとしている。
再編と言っても、リフォーム業界は大きな会社がある訳ではなく大多数は小さな零細企業が圧倒的に多い。
もちろん売上1位から20位くらいまでは大手が占めているが、それでも自動車業界などと違い数社でシェアを分け合っているわけではない。
地元のリフォームのほとんどは零細企業が担っているのが現状であろう。
これは不動産業界と似ているように思う。
もちろん不動産業界も大手が大きな物件や高額物件を得意として扱っているが、戸建てのそれも中古物件などは、町場の小さな不動産屋さんのお世話にならなければならないものも多い。
こんなところで、リフォーム業界と不動産業界がとっても似ていると思ってしまう。
どちらも、大企業が独占できる仕事ではない。
この二つの似たような業界。交流がイマイチない。
リフォーム屋さんは、不動産に弱い。
不動産屋さんは、建築、特にリフォームの知識には疎いところがある。
このどちらも、専門的に扱っているところがないのである。
ここでいう不動産とは、開発するとか、分譲するとか、そういった大きなものではない。
日本の住まい事情は今、住んでいない住宅が相当数ある。いわゆるストック住宅である。
このストック住宅を何とかしようと政府も思っている。
中古住宅の活性化である。
ここでいう不動産の扱いは、この中古住宅に絞っての話である。
この中古住宅、扱っているのは当然不動産屋さんである。
そのままでは住めないので、直すのはリフォーム屋さんである。
このニーズが、今増えているし、これからのマーケットも伸びるのは解かっている。
しかし、その担い手である町場の小さな不動産屋さんやリフォーム屋さんが双方とも、お互いのそれぞれの仕事に苦手意識がある。
一般の方から言わせると不思議な感じがするだろう。
両社とも、専門化である。
どちらかというと、不動産屋さんの言うことのほうが、信用できると思うかもしれない。
しかし、建築のプロから言わせると、それはないでしょ・・・ということが多い。
しかし、リフォーム屋さんの言うことはイマイチ信用できない。これも真理であろう。
新築の着工戸数が激減している。
今の若い人は、建売の新築なんて皆同じに見える・・・なのだそうな。
大手も数年前から、本腰でリフォームに参入している。その結果が売上上位20位まで大手で締めてしまっている。
当然、その大手も不動産にも勢力があるのに、グループ会社同士でお互いに連携している節がない。
ま、大手はどこでもそんなもんかもしれないが・・・
世のニーズ・ウォンツはそうではないはず。
中古住宅は、その構造的性能が心配である。
例えば耐震性能はどうなのか?配管は大丈夫なのか?
建物の寿命は?どのくらい持つものなのか?
住宅購入することは一生の問題である。
不動産屋は売りたくてしょうがない。
リフォーム屋は直したくてしょうがない。
どちらも仕事が欲しいのである。そりゃ世の商売は皆当然といえば当然である。
その専門性が、お互いに密接に必要なのに、その両方をちゃんとわかっている会社が少ないのが現状である。
専門性とは、相当な専門性でなくてはならない。
技術力だけではない。
もちろん技術力は当然として、ファイナンシャルの知識、情報力、そして、有益な政策の補助関係や資格のサポートができるかどうか・・・などが問われる。
これからの中古住宅の活性化には、不動産屋でもリフォーム屋でもない、もうひとつの業界が出来るのかもしれない。
投稿情報: 07:00 カテゴリー: すこしマニアックな話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)